母が仙骨ヒビ骨折で、急遽入院
経過観察で、3週間で無事退院出来たのも束の間。
その後、ディサービスやヘルパーを入れて対応
体の不自由な姉を頼れない
私一人孤高の戦いの幕開けだった。
仕事の休みは、実家の往復
往復140㌔を週2で繰り返す。
高速代とガソリン代で、計算出来ない位お金が出ていった(-_-;)
60代でここまで、酷使できる体力が自分にあったのか?
と思うくらい頑張った・・ と思う・・
時には、何もせず、口出しだけする姉を恨み、
それでも 一番のショックは母の変化である。
以前は、ワタシの体を労わったりしたが、
もうそんな言葉はでてこなく、
『朝から何にも食べてない・・』
宅配弁当を取ってるし、自分が来た時は買い出しに行ってるから
食料はあるはず・・
広い実家の各部屋に物が散乱
週4日ヘルパーさんに来てもらって一緒に片づけているらしいが、
来るたび、重要書類がない!!
郵貯の口座を引き出すのに、印鑑が紛失
地元の郵便局に、4回も出直し
所在確認の書類を郵送してもらっても、
その封筒はあれど、中味はなし
ゴミ袋あされどなし!
いったい!? どこにやるの?
それでも、口調はまともな時がある。
記憶をなくすのは、専売特許なのに
言い訳するフレーズはすんなり出てくる
『そんな大事なものは 引き出しにあるよ』
ホントにあったりする。。
『あんたに、お金いっぱい使ったわ』
あっそ!よく覚えてる
仕事を辞めて、母と同居も視野に入れていたが、
『もう!!無理!』
老々介護 無理!と思った。
この時点で、ワタシの体力、気力の限界がキタ~~~
そして、姉と相談して私達は決断しました。
つかの間の姉とのランチ
あまりにも、忙しく無我夢中の日々を過ごした4月
姉とは、絶縁状態だったがやはり実母のことは、自分達しかいないと自覚し
距離を縮めた関係になった。