隣の芝生は青いのか?

2人暮らしだけど、1人でお気楽食事がいい。けれど料理は無。 日々雑感、生活難、家族難多彩。内向的?毒舌が特徴。

施設入居! 本人に納得させるって???フライングタイガー見っけ。

怒涛の施設探しは、

実家地元のグループホーム巡りに始まり、

どこも、順番待ち状態で申し込みの申請のみ

 

そんな折、ケアマネより1つのグループホームから空きありと連絡を受けた。

実家からほんの5.6分のグループホームである。

さっそく、面談をつけてもらい出向く

こちらの条件のあうホームとは、言えなかったが

これを逃すといつ見つかるかわからない。

契約の書類を用意してもらうという段階で、

姉より連絡が入る。

 

姉も独自で、ネット等で探していたが、

偶々姉の家の近くで、住民票を移動しなくても入居できる

有料老人ホームに空きがあるという

費用も、さほどグルーホームと変わらない

 

運転免許を返納した姉にとって、少しでも近くの方が

よいのであろう。

 

結局、実家近くのグループホームはキャンセル。

慌ただしく、そのホームに入居が決定した。

 

その後は、入居するギリギリまでヘルパーやディを入れて

独居を見守るが、日に日に奇行が増幅する母を

来実家するたび、『もう少しだ・・』と自分に言い聞かせた

 

そして、もう1つの課題は 施設入居を本人に納得させるか?と

いうこと

 

それは、施設側からも言われたが

認知症患者にそれは無理な相談である。

直接、本人を連れて入居する私にとって、

悩んだが、当日は訳がわからない母は、

私に促されるまま乗車

そして、あれよと言う間に入居が実現

今となれば、状況を把握できないままフリーズ状態で

送ったのがよかったとも言える

 

しかし、少しずつ解凍される記憶で

我に返る日も来るだろう。

後は、介護のプロにお任せするしかない

 

母を見送った帰路 久しぶりにショッピングセンターに寄る

介護中は、母の買い物しかしなかったが、

ここ約1ケ月間は、仕事と実家往復で

過密スケジュールだった。

解放感もある

昨年オープンしたこのショッピングセンターで何と!

フライングタイガーを見っけ。。

都会でしかお目にかかれないと思っていたが、

いつ?わが県に上陸したのでしょう?

 

施設入居!孫たちの意外な援助に感謝(涙)

私達姉妹が右往左往しながら、出した結論は

やはり、独居母を野放しにして置けない状況が押し迫った事だ

隣り近所の苦情や、

母の心髄している宗教団体が頻繁に、認知症を逆手に取り母を丸め込み

お布施を目的に、私達がいない空きを狙って頻繁に訪れるように

なったのも要因の一つなのだが・・

 

1日でも早く、施設を探し出し母を入居させる事だった。

しかしながら、高齢化社会とはいえ 田舎の少ない施設やグループホーム

常に満タンで順番待ちである。

 

それに一番の難関は費用である。

介護度2の母は、費用が収入に応じる特養は論外で、

有料の老人施設か、グループホームになる。

母の年金では、実家の維持費や施設費を

到底賄い切れない金額である。

 

長男と同居とはいえ 未亡人で遺族年金で生活している姉も

余裕がなく、そうなると私が仕事を続けて

何とかカバーできるよう身を粉にして 頑張るしかない。

 

母の現状を目の当たりにしている私には、

それしか思い浮かばなかった。

見かねた姉が、『最終手段を使う!』?? と言い出した。

 

それは、姉や私の子供達から援助を願う事だった。

 

特に 姉の次男は関西の大学を卒業後、当時としてはかなりの企業からの

内定を蹴り、かねてからの夢だった

飲食店経営の為に、修行してお店を開店 元々手腕があったのか

今では、4店舗に広げ会社組織にした。

コロナで打撃を受けているとは思うが、何とか持ち堪えている。

そんな折に、姉も戸惑っていたが、

 

私の夫は、自分の血縁じゃないと一切財布を緩めないと承知なので論外。

そうなると、頼めるのは孫しかいない。

 

そうして、彼らにダメもとで懇願してみた。

意外な結果に (*_*)であった。

 

皆、『ばあ~ちゃんには世話になった』と申し出てくれたのである。

特に、期待の姉の次男が毎月かなりの援助を約束。

ワタシの長男も、僅かだが一括で振り込んでくると言う

思いがけない勝算?となった。

 

そして、私の次男も子持ちで生活だけで大変なので

今回 声かけは遠慮したが、父(夫)がチラリと漏らした言葉で

『妻には内緒』という事で へそくり金を渡してくれた。

 

お互い(私と姉)子育てには苦労したが、

心優しい子供達に成長したことに 驚きもしたし感激の涙だった。

 

他人から言わすと 孫は関係ないでしょ!彼らの生活がある

とも思われる方々もいたが

藁にも縋る私達の願いが届いたと思っている。

今後の実家の空き家問題もあるが、

いつか 彼らに還元できるようにと頑張るしかない。

 

そして、施設探しが本格化した。

 

怒涛の4月が 終ろうとしている。。

母が仙骨ヒビ骨折で、急遽入院

経過観察で、3週間で無事退院出来たのも束の間。

その後、ディサービスやヘルパーを入れて対応

体の不自由な姉を頼れない

私一人孤高の戦いの幕開けだった。

 

仕事の休みは、実家の往復

往復140㌔を週2で繰り返す。

高速代とガソリン代で、計算出来ない位お金が出ていった(-_-;)

60代でここまで、酷使できる体力が自分にあったのか?

と思うくらい頑張った・・ と思う・・

 

時には、何もせず、口出しだけする姉を恨み、

それでも 一番のショックは母の変化である。

 

以前は、ワタシの体を労わったりしたが、

もうそんな言葉はでてこなく、

 

『朝から何にも食べてない・・』

 

宅配弁当を取ってるし、自分が来た時は買い出しに行ってるから

食料はあるはず・・

 

広い実家の各部屋に物が散乱

 

週4日ヘルパーさんに来てもらって一緒に片づけているらしいが、

来るたび、重要書類がない!!

 

郵貯の口座を引き出すのに、印鑑が紛失

地元の郵便局に、4回も出直し

所在確認の書類を郵送してもらっても、

その封筒はあれど、中味はなし 

ゴミ袋あされどなし!

 

いったい!? どこにやるの?

それでも、口調はまともな時がある。

 

認知症 不思議発見なのは、

記憶をなくすのは、専売特許なのに

言い訳するフレーズはすんなり出てくる

 

『そんな大事なものは 引き出しにあるよ』

ホントにあったりする。。

 

『あんたに、お金いっぱい使ったわ』

 

 あっそ!よく覚えてる

 

仕事を辞めて、母と同居も視野に入れていたが、

 

『もう!!無理!』

 

老々介護 無理!と思った。

 

この時点で、ワタシの体力、気力の限界がキタ~~~

 

そして、姉と相談して私達は決断しました。

つかの間の姉とのランチ

あまりにも、忙しく無我夢中の日々を過ごした4月

姉とは、絶縁状態だったがやはり実母のことは、自分達しかいないと自覚し

距離を縮めた関係になった。