隣の芝生は青いのか?

2人暮らしだけど、1人でお気楽食事がいい。けれど料理は無。 日々雑感、生活難、家族難多彩。内向的?毒舌が特徴。

車椅子がどこにでもある環境

89才で1人暮らしの母。
元来の気丈さと、気の強い性格で、
父の没後でも、強く生きている。
戦争を経験した精神力は、ヌクヌク育った私や、
私の子供達には、全く未知の出来事で、
それが原動力になっているらしい。

娘ばかり生んだ為か、誰も同居できない事情にあるが、
認知症の症状は、全くない。
記憶力は、年相応の物忘れと耳が非常に遠くなった位だ。

2,3月前に自宅の玄関先で転び、股関節を骨折して手術、入院した。
よく高齢者が骨折してそのまま寝たきりになる。と聞くが、
ところがドッコイ見事に復活した。

しかし、負傷した足は、杖を付く生活になったが、
日常生活は、何とかこなしている。
70代の後半まで、原付バイク、その後電動自転車に
変化したが、さすがに自転車は乗れない。
手術したドクターは、母の年代の人に比べると
骨はまだ丈夫らしいと言ったが、以前の生活に戻れるか
微妙な所だ。

私より近くに住む姉が、時々様子を見に行き、食料品や生活用品の
買い物に付き合う。
スーパーやショッピングセンターを杖を付きながら
買い物してるらしいが、
1ケ月に1回位しか訪問できない私は、
どこにでも設置してある車椅子を使えと強要した。
最初は拒んでいた母も、『そこまで言うなら』と大人しく
座った。
押しながら、顔を近づけて話すと私の声がよく聞こえるのか、
あそこ行け、こっち行けと指示をする。
どうやら?便利でラクチンだと理解したらしい。
その後、壊れたファンヒーターを買いに行くため、大型電気店に行ったが、
車の中で、待つ?と言ったら見たいと言う。
ここにも、車椅子が設置してあった。
自分の好きなヒーターを選び、久しぶりに色んな場所に
連れて行ってもらい、満足気だ。
あんなに、意地でも乗らないと言っていた車椅子が
意表を付いたのか、
私と夫に『楽させてもらったわ』と呟く。

入院生活や、過酷なリハビリで、その頃の母の顔は鬼気迫るもの
だった。
退院して、数週間自由な1人暮らしに戻り穏やかな母の顔に
戻りつつあった。
車椅子なるもの、今まで縁がなかっので気が付かなかったが、
あらゆる公共施設や、色んな場所で目にして、
いつかは、自分もお世話になるのかと感慨深いものがある。
果して、押してくれるのは誰?
多分、病院の看護師か?施設の介護者か?
目の前にいる超高齢者から、押す事にしよう。
何事も順番を守らねば・・・